流産後のお話です。
少し生々しい表現があるかもしれないので、お目汚ししたら申し訳ありません😭💦見たくない方はスルーしてください💦
今日、塊のようなものが出ました。
前回の流産と同じなので、胎嚢は確認できなかったですが、おそらく卵ちゃんだなと思いました。
産めなくてごめん、本当にごめんと謝ってお別れしました。
出血してダメだと思っていた私を頑張って数値を上げて毎回励ましてくれていたような気がします。前の子も、もう流産だと言われていても、僅かでも成長を最後に見せてくれました。
卵たちがだめなんだと思ってしまっていたけど、本当は頑張ってくれていたのに、産めなくてごめん。もうだめだと思ってごめん。最後まで信じてあげられなくてごめん…。
そのあとからは感情がさらに不安定というか、喪失感が増してしまいました。
でも、私だけでもあの子たちがいたことや命になってなくてもいてくれていなくなって悲しいことを感じてあげないと、とも思いました。
体外受精する時に、そもそも不妊治療をする時に毎回期待してしまいます。最初は期待しないようにしようと思うし、やってみないとわからないし、うまくいく保証はどこにもないことばかりです。それはお金がかかればかかるほど、辛い思いをすればするほど、自然と見返りを求めてしまう。でも、不妊治療も子育ても見返りなんて返ってこないんですよね。
そのことを忘れていたような気がします。今回のことでなんとなく思い出させられました。
今回はたまたま少し上手くいっただけ。卵が頑張ってくれただけ。その分期待してしまいましたが…。
次はどうなるか、未来はどうなるかわからない。良くも悪くも。原因を探って潰してみてもそれがうまくいくかはわからない。でも挑んでみるしかない。そこからどんな結果でも学んでいくしかない。
それがこの治療というか、治療全般に言えることだなと思いました。
次の卵も悪いかいいかもわからない。
でも、必要以上に恐れることはないと思う。絶望も奇跡もやってみないとわからないし、得られないから。
私は必要以上に恐れていた気がします。でも、流産や陰性が続いても妊娠出産という奇跡を手にした方もいると思うと一概に誰も何も責められないと思いました。
私にできることは、どんなに裏切られても信じることのみなんだ。
取り止めもないことを書いて申し訳ありません。
でも、自分の中で忘れたくなくて、備忘録として記させていただきます。
申し訳ありません。
心身ともにまだ復活できていませんが、よく考えていきたいと思います。