8/31(水)D5
こんばんは。
祖母とのお別れについて。
一人になると精神的に不安定になるみたいなので、言葉にして頭を整理しようと思い投稿させていただきます。完全に自己満ですみません。
母を、そして父とわたしたち姉弟4人を心から愛してくれた祖母が先日突然亡くなりました。
人は大事なものを失うまでその大事さになかなか気付けない生き物で、感謝の気持ちをしっかり伝えることはできぬままお別れとなりました。
わたしの大好きな母は滅多に人前で泣くことはなく、生きてきた26年間で1度だけ泣いた母を見たことがあったぐらい、強く面白く、そして本当に優しい母です。
そんな母が声を上げて泣く姿に驚きと同時に涙が溢れました。
孫よりも何倍も辛く悲しい別れをすることになってしまった娘である母を、支えなければならないと涙を堪えたものの、寂しさと悲しさは簡単に消えぬもので。
もっと沢山会いに行けばよかったと、もっと沢山話せばよかったと、あと何度後悔したら気が済むでしょうか。
祖父は「亭主関白」というこの4文字が似合う人です。もちろん祖母のことはこき使い、自分は動かず。全ての家事を祖母にやらせ「バカ」「早くしろ」など孫がいてもおかまいなし。
孫一同、祖父に「そんなこと言うなー!」と祖母をかばってきました。小さい時から祖父は悪者でした。母もそんな祖父が大嫌いで。
そんな祖父が泣いていました。「ありがとう」と何度も。でも、それでは遅い。もう伝えられないと知ってから言うありがとうは、祖母がずっと聞きたかった言葉だった。何百回も言えたありがとうを言って来なかったのは紛れもなく祖父の大きな過ちだった。
祖母との別れで学んだこと。
人は突然会えなくなってしまうこと。
人は大事なものを失ってから気づくこと。
そして、それでは遅いということ。
どんな人にも命があって、どのように産まれてきたとしても尊いということ。
これは忘れずに生きていきたいと思いました。
祖母が亡くなってから、母を産む前に流産をしたことを知りました。そこから、第一子である母を授かるまでに3年かかったそうです。
母とそのあとに生まれた叔父は本当に優しくて素敵な人です。
祖母の流産を知って、わたしが第一子を授かるのがあと3年後になったとしても、それ以上になったとしてもそれが「この人生を生きる上での運命なのだ」と受け止めようと思うことができました。
棺に入れた手紙に「もし、わたしたちのところに来たそうな赤ちゃんがいたら、場所を教えてあげてね」と書いておいたので、きっと祖母が導いてくれると思います。
おばあちゃん、ありがとう。
大好きです。
またね。